サーフィンと出会い、「左手は個性であり武器」と思うように
パラサーファー選手・近藤健太朗が描くデュアルキャリア
“良い波”を見つけるや否や、片手のみでパドリングをし、「テイクオフ」をしてボートの上に立ち、波に乗る――。近藤健太朗選手がパラサーフィンを始めたきっかけは、健常者とパラの大会に両方出場できることを「チャンスは2倍」と思ったからでした。将来、健常者の大会でも頭角を現したいと笑顔で話す近藤選手が選んだ道は、仕事とサーフィンを両立するデュアルキャリアでした。
パラサーフィン
ルールは基本的に健常者のサーフィンと同じで、指定された時間内に波に乗った(ライディング)内容が採点される。現在、障害によって9つのカテゴリーにクラスが分かれていて、近藤選手は上肢に障害がある「スタンド1」に属している。パラサーフィンは別名「アダプティブサーフィン(adaptive surfing)」と呼ばれ、様々な身体的個性に合わせて工夫しサーフィンに適応(アダプト)するところに由来する。2015年にISA世界選手権が初開催され、年に1度開催されているほか、2022年から国際プロツアー大会が始まり年々世界で開催地が増え、盛り上がりを見せている。
障害者と認めたくなくて、尖っていた
スポーツが好きだった近藤健太朗選手は、学生時代に野球、水泳、剣道、陸上と多岐にわたる競技で健常者と交じって競っていました。その中で、各競技においてパラの世界があることを教えてもらったといいます。その度に湧いた感情は、「自分は健常者と戦えている。何でそっち(パラ)に行く必要があるんだという気持ちでした」と振り返ります。
その背景にあるのは、「自分は障害者という認識があまりない」との思いでした。その気持ちは、今も昔も変わらないといいます。その上で、子どもの頃を思い返すと、「障害者であることを認めたくなくて、尖っていました」と打ち明けます。
近藤選手は、生まれつき左肘から指先にかけて細く短く、手の指が1本のみの状態です。右手は5本指がありますが、中指と薬指はくっついています。障害名は、上肢欠損。けれども、“できないこと”は何もないと言います。
「お箸は問題なく使えますし、字もきれいではないですが書くことはできます。パソコンを打つスピードも速いです。障害は社会にある壁のようなものと思うのですが、日常生活において誰の介助も必要としないので、自分自身は障害者という認識があまりありません」
片手で生活するという制約はあるものの、知恵と工夫で不自由なく生活できるので、「障害者とは何か」を考える機会が人一倍多い思春期を過ごしてきました。
周りに影響を与えることが原動力に
転機が訪れたのは、社会人になって数年が経った20代後半の時でした。ふと、「海に行きたい、海に入ってみたい」と思い、趣味でサーフィンを始めてみることに。徐々にのめり込んでいき、週末には当時住んでいた東京から、千葉県の鴨川に足繁く通うようになりました。
パラサーフィンの存在を知ったのは、徐々に顔見知りになっていったサーファー仲間からだったといいます。これまではパラスポーツを勧められると反発心が湧き上がっていましたが、パラサーフィンに関しては、「チャンスが2倍だ。日本代表に挑戦できるなんて恵まれている。」と思ったといいます。
「自分は、健常者の大会も、パラの大会も、両方出場できると思ったんです。サーフィンに出会い、続ける中で、最近ようやく障害を個性として受け入れられるようになってきました」
コロナ禍、リモートワークができるようになったことで、思い切って鴨川に移住をすることに。海が近い環境になり、サーフィンをする機会も自ずと増えました。毎日海に入り、繰り返し波に挑む姿を見た人から、直接的もしくは間接的に「勇気をもらった」「両手が使える自分はもっとできると自信になった」などの言葉やエールをもらい始めました。その点に関しても、感情の変化があったといいます。
「以前でしたら、『そんな特別ではないです』と思っていたかもしれません。でも今は純粋に嬉しいですね。周りに影響を与える存在になっていることが、競技を続ける上での原動力の一つになっています。左手のおかげというか、この左手がパワーを持たせてくれているというか、ようやく自分の武器なのかもしれないと気づきました」
競技人生で一番高い「壁」を乗り越えた
20代後半でサーフィンを始めるのは一般的には遅いそうで、「課題が盛りだくさん」と苦笑いをします。それでも、毎日海に入り、自身の動画を撮影し、帰宅後にその動画を編集し、SNSに投稿するルーティンを日々欠かさず続けることで、サーフボードを製作するシェイパーやコーチから様々なアドバイスをもらい、壁を一つひとつ克服していきました。その中でも特に大きかった変化は、サーフボートに乗る際の足のスタンス(体の向き)を変えたことでした。
スタンスは二つあり、左足を前にする「レギュラー」と、右足を前にする「グーフィー」です。近藤選手はレギュラースタンスでしたが、サーフィンを始めて3年ほどが経った時に、グーフィーに変更しました。その方が、ボードに腹ばいの状態から右手一本でボードの上に立つテイクオフの際、より素早く、より安定して波に乗ることができると判断したからだといいます。
アダプト(適応する)には相応の時間と努力が必要ですが、長期的なサーフィンのキャリアを見越して、挑戦をしました。今では、どちらのスタンスでも波を乗りこなせるようになり、その成果も徐々に現れ始めています。
「サーフィンを始めて、一番大きな壁だったのが、このスタンスの変更かもしれません」
パラと健常者の大会の両方で頭角を現していきたい
近藤選手は、アスリートでありながら、フルタイムで仕事をする会社員でもあります。平日は早朝にサーフィンをしてから始業し、週末はほぼ終日海で過ごす生活を送っています。現在は、コーポレート部門事業推進部業務改革グループにて業務効率化の施策などを担当。
「サーフィンのおかげで規則正しい生活ですし、練習時間を確保するために計画的に効率よく業務を遂行するなど、両立のおかげでパフォーマンスを最大限発揮できる職場環境だと感じています」どの道を進んでいくかの方向性は未定ですが、ゆくゆくは特定の分野の専門性を高めていきたいと話します。また、アスリートとしては、パラと健常者の大会の両方において、頭角を現していくことを目標にしています。
「僕がサーフィンをする姿を見た人に、『おお!』と驚いてもらいたいし、自分と同じ境遇の人に勇気を持ってもらいたい。サーフィンというと健常者でも始めるのにハードルが高いと思われるかもしれませんが、海の中はバリアフリーで自然をダイレクトに感じられる楽しいスポーツなので、サーフィンを一つの選択肢にしてもらいたい。以前、パラのイベント後に、左手に障害のあるお子さんの親御さんと話す機会がありました。僕の経験上、当事者よりも親の方が悩み、もがくことが多いと感じます。障害者本人だけではなく、その家族や周りの人たちにとってもロールモデル的な存在になれたら良いなと思っています」
ビジネスパーソンとしてキャリアを築いてくことを、アスリートとしてはパラと健常者の二軸において高みを目指す近藤選手。各分野のエキスパートになる奇特な道を、これからも切り開いていきます。
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