車いすバスケと車いすソフト、“二刀流” のメリットとは?

篠田匡世選手が意識する「即決」の習慣

パラアスリートの篠田匡世選手が特異な点は、車いすバスケットボールと車いすソフトボールを両立するだけではなく、双方において日本代表選手を経験していることです。現在は週3日ずつ、それぞれの競技の練習に励む日々を送っています。実績を出している背景には、長年日常的に意識していることがありました。

車いすバスケットボール

ルールは一般のバスケットボールとほぼ同じ。1チーム5人の選手がボールを奪い合い、ゴールにボールを投げ入れて、得点を競い合う。使用するコートやリングの高さも一般のバスケットボールと同じ。障がいのレベルによって1.0〜4.5の持ち点が定められていて、試合中コート上の5人の持ち点の合計が14.0を超えてはいけないルールとなっている。

車いすソフトボール

障がいの有無や性別、年齢関係なく出来るバリアフリーの車いす競技。障がいのレベルによって、1点から3点のクラスにわけられ、試合に出場する選手の合計が21点を超えてはいけないルールとなっている。また、原則「クラスQ」( 頚椎損傷者。またはそれに準ずる上肢に障がいのある選手)を最低1人入れなければならない。クラスQの選手が不在の場合は、守備は9人、打順10番目は自動的にアウトになる。


車いすバスケを観て、「これはやるしかない」と思った

篠田選手が障がいを負ったのは、大学受験を終えた高校生最後の春休みでした。愛車のオートバイに乗っていた最中に事故に遭い、結果的に両足とも切断することに。当初は、「なんでこうなったんだろう」「これからどうやって生活していけばいいんだろう」と思ったといいます。

その一方で、排泄機能、腹筋、背筋は無事だったため、義足をつければ階段も登れることがわかりました。人より時間がかかる部分はあるものの、障がいに対するマイナスイメージは抱かなくなっていったと振り返ります。

その後は、退院を目指しリハビリに励んでいました。その時に出会ったのが、車いすバスケットボールでした。高校まで野球少年で、バスケのルールもよく知りませんでしたが、車いすバスケの練習を観に行った時、「これはやるしかない」と思ったといいます。

「生で見た時のスピード感や、車いすがぶつかり合う音が印象的でした。まさに、『車いすの格闘技』で、闘争心を露わにしていい場所を見つけたと感じました」

その後18歳で車いすバスケを始め、翌年には日本代表に入るほどの急成長を遂げました。その理由の一つは、競技用車いすの操作を徹底的に練習したことだといいます。30分でも練習時間が確保できれば、大学のある東京から所属チームの練習拠点の埼玉へ2時間かけて通いました。

「日本代表に入れたのは、競技スキルだけではないと思っています。野球で培った、全体を鼓舞しながらチームをまとめていく面も含めて、コーチに伸びしろがあると思われたのではと捉えています」


車いすソフトボールの世界大会で、MVPを獲得

そして、車いすソフトボールを始めたのは、知人に誘われたのがきっかけでした。2012年当時、国内では車いすソフトボールという競技がまだなかったなか、日本代表を有志で結成し、アメリカで開催の「ワールドシリーズ」に出場。その選手の一人として、篠田選手も渡米しました。それから現在に至るまで、日本代表選手として活動をしています。

最初の数年はアメリカに太刀打ちができなかった日本ですが、徐々にレベルを上げていき、2022年から2年連続でワールドシリーズ優勝を果たしました。2023年には、MVPに選ばれた篠田選手。チームとしても個人としても、「世界一」の座を獲得しました。

“二刀流”のパラアスリートとして活躍をする篠田選手は、二つの競技をする利点は、「思考力がより鍛えられること」と言います。

「スポーツは、情報戦です。展開が速いバスケでは、その場での状況判断や相手選手が次に何の動作をするかを読み、ソフトボールでは相手選手のスイングを見て打球がどちらに飛ぶかを予測します。“コンマ何秒”の差で勝敗が決まることがあるので、普段の私生活から、『即決』を心がけています」

例えば、食事に行った際、メニュー開いてすぐに注文内容を決めるなど、些細な判断を悩まずに決める練習を日々しています。意識し始めてから10年以上経った今、自分の選択に後悔をすることが少なくなってきたと実感しているそうです。

「年齢が上がり、かつ、世界で戦う一流の選手たちと対峙するなかで、勢いとパワーだけでは通じない部分もあると痛感しています。鍛えた分だけ力がつく体力とは異なり、脳はキャパシティが決まっているので、取捨選択の判断の精度を高めていきたいと思っています」


障がいを負った今の人生の方が好きだと言える

直近の目標は、車いすバスケにおいては2028年のロサンゼルスパラリンピックに出場すること。元々身長186cmの大柄な身体に加え、素早さも備えるオールラウンダーの篠田選手は、全てのポジションを高水準で安定して遂行することが一番の強みだと自負しています。

「私と同じような特色を持った選手はいないので、自分の完成度をより100点に近づけることが、代表に選ばれることにつながると考えています」

車いすソフトボールにおいては、「世界一」の座を保ちながら、競技自体をパラリンピック種目にすることを目指しています。

「今後、国内外から私のレベルを超える選手が出てきてほしいです。選手同士で切磋琢磨をし、全体のレベルが上がっていくことが、パラリンピック種目に認定される過程で求められると思っています」

両競技において、スキル、経験、年齢的に周りを引っ張っていく立場にあり、現役引退はまだまだ先を考えているそう。「競技をすることを楽しいと思えなくなった時が、引退するタイミング」と言います。

「障がいを持ったことで、健常者の時ではできなかった『世界に挑戦すること』ができるようになりました。そう考えた時、私は今の人生の方が好きです」

遠い将来は、「教えることをしたい」と言う篠田選手は、中高の保健体育の教職免許を持っています。

「教員を目指すきっかけになったのは、高校生時代の先生など、大人の影響がとても大きくて。大学時代の教職実習の時、教壇に義足で立った私の姿を見た生徒の一人が、卒業後に義足を扱う義肢装具士の専門学校に進学したと後に聞きました。教師という職業かどうかは決めていませんが、何かを教えることをできたらと思っています」

その「何か」がまだ決まっていませんが、それが見つかった時、篠田選手の次のキャリアが拓けるのかもしれません。

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