三井住友海上火災保険と電通デジタルは、「ビジネスに役立つデータ人材育成プログラム」を共同で開発しました。その背景には、多くの日本企業でデータ分析プロジェクトが失敗に終わるケースが多発しているという課題意識があります。失敗の大きな要因として、データ分析とビジネスをつなげる「ビジネストランスレーター」の不在があると考えました。
本プログラムでは、ビジネストランスレーターになるために必要なデータ分析とマーケティングの基礎知識を、オンライン上で学ぶことができます。意思決定層がこうした知識を体得することで、データ活用の課題を克服できるのではないかと考えています。本記事では、滋賀大学 データサイエンス学部 教授の河本薫氏を交え、本プログラムを生かすために必要なことは何かを議論しました。
※2023年12月に取材した当時の所属・役職です
データ分析を成功に導く「5Dフレームワーク」とビジネストランスレーター
電通デジタル 小西良太 (以下、小西):データは「21世紀の石油」と言われるほど、重要なリソースとなってきているにもかかわらず、日本企業のデータ分析プロジェクトが失敗に終わるケースが多発しています。その原因はひとえに「人材」の不足です。その中でもデータ分析とビジネスをつなげる「ビジネストランスレーター」の不足が大きな要因だと見ています。
しかし、そうした人材を実践的かつ体系的に育成するプログラムはこれまでありませんでした。そこで、三井住友海上火災保険の事業会社としての「生きた育成ノウハウ」と、マーケティングに強みをもつ電通デジタルの「データ活用のノウハウ」を組み合わせ、開発したのが今回のプログラムです。
本プログラムは、ビジネストランスレーターに必要なスキルである「5Dフレームワーク」とともに、データ分析やマーケティングの基礎まで一気通貫で学ぶことができます。一通り受講すれば、中間管理職や経営層がデータ活用についての意思決定をする際の基礎知識が身につく構成になっています。オンライン形式で自分のペースで進めることができ、ただ講義を聞くだけでなく、手を動かすコンテンツも用意するなど、双方向型の学習プログラムで主体的な学びを実現しています。
また学んだ後も、我々がデータ活用の内製化を支援するメニューもあるため、実際のビジネスで価値を生み出すところまで、一気通貫のサポート体制を提供できるのも大きな特徴と言えるでしょう。
今回、三井住友海上火災保険の木田さん達とタッグを組んでこのプログラムを開発しました。木田さんは、ビジネストランスレーターの重要性を説いた書籍を2冊[注1]発行されています。その経験も踏まえ、今回のプログラムに対する思いを語っていただけますでしょうか。
三井住友海上火災保険 木田浩理 氏(以下、木田):文系出身の私がデータサイエンティストとして活動していく中で、どういうプロセスを踏めば、データ分析プロジェクトが成功するのかをまとめたところ、5つの要素に落とし込むことができました。これが書籍で紹介している「5Dフレームワーク」です。
この書籍への反響は大きく、ビジネストランスレーターの不在が原因で、データサイエンティストがうまく活躍できていない現状が見えてきました。日本企業の大きな課題は、本来ビジネストランスレーターの役割を担うべき、中間管理職などの意思決定層が、あまりにもデータについて学ぶ機会が少ないという点です。そこで、誰もが学べる仕組みを作りたいと思ったのが、今回のデータ人材育成プログラムを開発したきっかけです。
2022年から、電通デジタルと一緒に開発を進めてきました。弊社のマーケティング分野でもご支援していただいており、マーケティングとデータサイエンスを組み合わせたプログラムを開発するという点で、最も適したパートナーだと思っています。
滋賀大学 データサイエンス学部 教授 河本薫 氏(以下、河本):データ活用の意思決定で重要になってくるのは、「とりあえず試してみよう」というマインドです。データを使えば毎回ホームランが打てるようになるのではなく、100回振ったら今まで20本しかヒットがなかったのが、30本になるかもしれないというような世界です。打席に立って振ってみないと何も始まらないというマインドがないと、期待と現実のギャップで間違った判断をしてしまう可能性もあります。
データ分析は魔法の杖ではなく、日常業務の中で使う電卓のようなもの、という感覚を持ってほしいですね。
木田:私が懸念しているのは、若いデータサイエンティストが希望を持って入社してきて、データを分析し上司に提言しても、理解が足りなくて跳ね返されてしまうのではないかということです。そのせいで、人材の宝である若手が幻滅して会社を辞めてしまうようなことになれば、本当にもったいないことですよね。
このプログラムで基礎的な知識をインプットすることで、適切な判断ができるようになるでしょう。ゆくゆくは、人事や経営層が必須で受講すべきプログラムにしたいと思っています。
「正しい仕事をする人」を増やして、データドリブン組織へのムーブメントを起こす
小西:河本先生は、データドリブン組織に必要な条件として「Whyを追求する文化」や「経営視点を全社員がもつ」など、さまざまな提言をされています。ビジネストランスレーターが活躍できる組織を目指すには、何が必要となるでしょうか。
河本:シンプルに「正しいことをする」ということだと思います。組織の中にいるメンバーには、「社会や会社のために正しい仕事をする人」と「自分の自己実現のために仕事をする人」がいます。ただ、この「正しいことをする」人が少ないんですよね。こうした意識を持つ人を増やしていくことで、組織が全体として変わっていくというのが期待するところです。
ただ、この根本的な仕事に対する姿勢は、簡単には変わらないでしょう。正しい仕事をするカルチャーが醸成されていない場合は、正しい仕事に導くこともビジネストランスレーターの役割になるのかもしれません。
木田:そのためにも、きちんと仕組みとして作る必要があると思ったのです。弊社でも、社員に対してデータサイエンスのオンライン学習を進めており、かなり効果が出ることが分かってきました。マーケティングやデータサイエンスの思考がベースとしてできあがってきたところで、会社変革プロジェクトへの参加を募集したところ、何十人もの応募があったのです。
こうした熱意のある若手をすくい上げて、データサイエンスの分野に回していくと、会社のために何かしたいという若手ばかりの組織ができあがるんですよね。この育成サイクルがようやく回り始め、データドリブン組織へのムーブメントが起こる雰囲気が出てきています。
小西:その最初の一石を投じるところが一番大変そうです。いろいろな軋轢があったのではないでしょうか。
木田:最初は大変でしたね。何かを進めるには、経営層の充分な理解と後押しを得ることがとても重要です。スモールサクセスで実績を示し、正しくオーサライズ(公認)を得て進めれば、意外にスッといくのだと分かってきました。
経営者が、実力ある社員をすくい上げる環境が重要
河本:経営者をうまく巻き込む力は、すごく求められますよね。
木田:私は中途採用で、2018年に三井住友海上に課長代理として入社しました。そんな立場で自分の意見を言い続けていたところ、それをすくい上げてくれた上司や経営者がいたのが大きかったですね。
河本:私の前職時代の経験とのギャップを感じますね。
三井住友海上火災保険 山田紘史 氏(以下、山田):木田の行動を見ていると、相手への傾聴力やファクトに基づいたアドバイス、相手が重要視する課題の本質を見抜く力などを駆使して、相手とのラポール(信頼)を築くことで、影響力やプレゼンスに繋がっているように思います。一方、三井住友海上には、実力のある社員を引き上げる環境がたしかにあるので、その両方が合わさって、ビジネスインパクトを出せているのではないでしょうか。
今回のプログラムも、木田のもつこうした要素を育成できるコンテンツを盛り込んだつもりです。
河本:多くの保険会社の中でも、なぜ三井住友海上がそうした対応ができるのでしょうか。
木田:業界内でチャレンジャーというポジションだからだと思います。「今のままでいい」という発想がないのです。
インサイダーとアウトサイダーの視点
小西:実力のある社員をすくい上げる環境が大事というお話もありましたが、今回のデータ人材育成プログラムを受講させるにしても、誰が良いかという問題が発生すると思います。社員のポテンシャルをどのように見極めればいいのでしょうか。河本ゼミに入るには、例年高い倍率を勝ち抜かなければならないと聞いています。河本先生は、どのような視点で学生を見ていますか。
河本:「正しく考えているか」、ただそれだけですね。社会や会社のために何をすべきかを自分で考えて、それを行動に移すだけでいいのですが、それができている人が少ないのです。そのベクトルがまっすぐな人に、データサイエンスをゼロから教えれば、一気に伸びていくでしょう。その見極めを人事部や上司ができるかどうかは、その人自身が正しく仕事をしているかが問われると思います。
木田:河本先生のおっしゃる「正しく考える」を自分に置き換えてみると、かつて百貨店で婦人服を販売していた経験を思い出します。私は、エスカレーターの前にひたすら立ち続けて、お客さまを観察したのです。何ヶ月も同じことをしていると、お客さまがなぜこの服を買うのかが見えてきました。その感覚を持ってデータを見ると、この服が売れた理由が分かってくるのです。本当の「顧客視点」を持っている人が少ないのは、こうした体験がないからだと思います。
河本:木田さんは、三井住友海上で何社目の転職なのですか?
木田:9社目です。
河本:私は、企業人時代はずっと一社に勤めていたので、インサイダー(内部の人)の立場でした。でも、木田さんは三井住友海上では、アウトサイダー(外部の人)の立場ですよね。客観的に見ることができ、経営者に対する接し方も大きく違ってくると思います。
木田:確かに、私は経営層と話をする際は、本当に伝えるべきことであれば、忖度せずに伝えたほうがいいと考えています。ただそれは、何でも率直に言えばいいというわけではなく、インサイダーとして、会社の暗黙知を完全に理解した上で、あえてアウトサイダーとして振る舞っているからこそ、私の話を受け入れてもらえるのかもしれません。
河本:企業は、木田さんのような「プロフェッショナルアウトサイダー」を雇う必要があるのでしょうね。
山田:木田は、インサイダーとアウトサイダーの両方に見られているからか、生粋のプロパーからも、同じアウトサイダーである転職者からも、両者を繋ぐ人材という見方をされています。特に若手社員からは、我々の部署と連携して取組を進めたい、我々の部署で共に働きたいという声も多くもらうようになりました。インサイダーとアウトサイダーがともに働くことで組織の活性化にもつながっています。
小西:企業の中で、インサイダーとアウトサイダーが出会って、一緒に物事を進めていくことが大事なのかもしれませんね。今回のデータ人材育成プログラムが、双方の理解を深めるきっかけになればと期待しています。
事業部自身がデータ活用を自分ごと化し、成功体験を積み上げる
小西:データドリブン事業を進めていく中で、現場に行くほどこれまでのKKD(経験・勘・度胸)を重視し、データ活用に苦手意識を抱く社員も出てくると思います。そうした人ともうまく共存し、データ活用を推進するためには、どのようにすればよいのでしょうか。
河本:DX推進部のような外部組織だけで事業部を動かしていくのは難しいでしょう。経営者が現場と向き合って、一人ひとりの社員に対し、データ活用が自分ごとになるような意識を醸成する、対話力が重要になってくると思います。
木田:データを活用して成功した体験を、現場に作る必要があります。現場の人は、データの専門性からの距離が遠く、そのイメージが湧かないのです。まず窓口を開いて、なんでも相談に乗ります。そして、解決してあげる。すると、ちょっとした成功を体験した人が、また次の案件を紹介してくれるのです。こうした積み上げで、データ分析の有用性に疑念をもっていた人たちの考えを、かなり変えることができました。そして、こうした成功事例を社内できちんとPRすることも大切です。
山田:最初は話すら聞いてもらえませんでしたが、データ分析の土壌を作っていく中で、今となっては経営戦略の中核になるほどまで認知されてきました。
河本:これは、企業文化を変えたと言っても過言ではないですね。
小西:データ分析の小さな成功体験の積み重ねが、いつしか企業文化を変えるまでになっていくかもしれないということですね。今回のデータ人材育成プログラムでの学びが、そうした成功体験につながる一歩としてもらえればと思いました。
日本企業を元気にする鍵は人材育成。人を動かせる人間を育てたい
小西:最後に、日本企業を元気にするための提言としてメッセージをお願いいたします。
河本:木田さんのようなキーパーソンを経営者がきちんと見極めて引き上げていくことが大切ですね。多くの転職をされてキャリアを積み重ねていく生き方は、とてもポジティブに感じました。終身雇用が崩れていく中で、こうした人材が当たり前の時代になれば、日本企業もさらに良くなっていくのだと思います。
木田:私は、日本経済がどんどん悪くなっていくのを目の当たりにしてきた世代です。自分の小さな娘のためにも、日本を元気にしていきたいのです。そのためにどうすればいいのかと思うと、やはり人材育成しかありません。それに少しでも貢献できる仕組みが作りたいという思いで、今回のデータ人材育成プログラムを開発しました。まずは、中間管理職の意思決定の仕組みを変えられたらと思っています。
河本:私も大学教育で人材育成に一石を投じられないかという思いで、大阪ガスから滋賀大の教授になった経緯があります。実はデータサイエンス学部にいながらも、学生にはデータサイエンティストになるよりもむしろ経営者になってほしいと思っています。やはり会社を動かせるのは社長です。私の教え子が、どれだけ経営者になれるかが私の中の一つの指標としてあります。人を動かせるような人間を育てる教育をしたいと改めて強く感じました。
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脚注
1. ビジネストランスレーター データ分析を成果につなげる最強のビジネス思考術(日経BP)、データ分析人材になる。目指すは「ビジネストランスレーター」(日経BP)
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