就職が厳しい現実を打ち破り、スポーツを職業に

「応援される人になりたい」ボッチャ選手・桑野楓夏の諦めない心

日々の練習着は、お気に入りの有名ブランドのスポーツウェア。ボッチャの桑野楓夏選手は競技だけではなく、ファッション面も含めて「桑野選手のようになりたい」と思われることを目指しています。身の回りのことができないと就職が難しい現実を知り、スポーツを「職業」に。2022年に競技のクラスをBC1からBC3へと変更し、リスタートを切った桑野選手が大切にしていることは、諦めずに最後まで取り組むことです。 

ボッチャ

重度脳性麻痺者もしくは同程度の四肢重度機能障害者のために考案されたスポーツ。赤と青のそれぞれ6球ずつのボールを投げたり、転がしたり、他のボールに当てたりして、ジャックボール(目標球)と呼ばれる白いボールにいかに近づけるかを競う。障害によりボールを投げることができなくても、勾配具(ランプ)を使い、自分の意思を介助者に伝えることができれば参加可能。桑野楓夏選手は、最も障害の重いBC3クラスに所属。自己投球ができないためランプオペレーターと呼ばれる競技アシスタントの母親によるサポートで投球している。


どうやったら周りと同じことができるか 

出生体重が1500g未満の「極低出生体重児」として生まれた桑野楓夏選手。先天性の脳性麻痺により、自分の力で自由に体を動かすことができません。

それでも電動車いすを相棒に、幼少期から飼い犬たちとサッカーボールを追いかけ回し、水泳やバイスキー(いすの下に2本のスキーが付いたもので、コーチと一緒に滑るスキーのこと)などにチャレンジしてきました。

小学校と中学校は一般校で過ごし、学校行事において「どうやったらみんなと同じことができるか」を、先生や家族と模索してきたと桑野選手は言います。

「体育祭ではクラスメイトにおぶってもらって騎馬戦に参加したり、徒競走では電動車いすに乗って出場したり、みんなと同じように行事に参加してきました。当時の先生方には感謝の気持ちでいっぱいです」

ボッチャを知ったのは、14歳の時。テレビ番組で、同じ障害を持つ同世代の人が東京で開催のボッチャの世界大会で活躍している姿を見た時、「ボッチャであれば、他の選手とハンデがなく対等に戦える」と思ったといいます。

当時、水泳をしていた桑野選手ですが、息継ぎが1人ではできず、自分で自分の命を守れないことから、大会への出場は叶いませんでした。

他の人と同じように自分も大会に出てみたい――。
長らく胸の中に秘めていた思いが湧き上がりました。

そして、「ボッチャを通して世界にはばたきたい」と思うに至り、競技を始めることを決めました。


ボッチャができたら就職ができるかもしれない 

最初は、自分で投球ができるBC1というクラスに所属しました。重さ270gほどのボールは桑野選手にとっては重く、うまく握れずよくボールを落としてしまったと振り返ります。それでも練習を重ねていくうちに、わずか数年で国内外の大会で実績を残すようになりました。

大学卒業後、一般企業への就職を希望していた桑野選手。自信を持って最終面接に臨んでも不採用となった過去があります。その理由は、災害などなにかあった時に一人で逃げられないことや、階段の昇降をはじめ、トイレや食事など身の回りのことを自身ではできないことにありました。

「面接時、ヘルパーを使わせてほしいとお願いしたこともありました。でも、日常生活の枠を超えてヘルパーを利用するとなると、自費になるんです。そうなると、採用側の人も『自費では申し訳ないうえに、ヘルパー利用にお金を費やすことになると働く意味がなくなるのでは』ということになって……」

自分で自分のことができないと就職は厳しいという現実を目の当たりにした桑野選手ですが、その一方で、スポーツを職業にし、就職をしている障害者がいることも知りました。

「私は、働くという経験をしてみたかったんです。その時、ボッチャができたら就職ができるかもしれないと思い、ボッチャを楽しむだけではなく、競技として捉えるようになりました」


母親と二人三脚で競技に向き合う 

ボッチャBC1クラスで着実に実績を残すなか、2020年に頚椎症を患ってしまった桑野選手。自ら投球ができなくなったことで、障害がより重いBC3クラスに転向しました。

BC3クラスでは、選手がランプオペレーターと呼ばれる競技アシスタントに、ボールを投げる方向や距離を指示する試合展開となります。

桑野選手のランプオペレーターを務めるのは母親です。母親も選手扱いとなったことで個人から二人三脚で競技に取り組む環境へと、大きく変化しました。

体育館では試合形式の練習をし、自宅では練習の様子を録画した映像を見て復習したり、海外の試合を見て研究したり。痛む首と相談しながら、毎日欠かさず練習を積み重ねています。

「母とは競技においての方向性が一致しています。私は練習後もボッチャのことをあれこれ考えてしまうのですが、母は練習後にはもうボッチャのことは考えたくないと言います(笑)」

母親とは、お互い好きなアーティストのライブに行くほど仲が良いという桑野選手。何事も前向きに捉える姿勢は、家族の影響があるといいます。

「何でも『できない』と言って諦めるのではなく、『まずはやってみよう』という考えが家族の中にあると感じています。新しいことを始める際、不安はなく、いつもワクワクしています」


モットーは「一度決めたことを最後までやり遂げる」 

桑野選手が以前から思い描いていた、「世界を目指せるかも」という思いは現実となっています。海外の大会で活躍するだけではなく、知り合った同世代の外国人選手の母国に遊びに行ったこともあるそう。

今では、海外旅行をはじめ、野球観戦や好きなアーティストのライブ観戦、学生時代には買えなかったブランド品を購入することが楽しみになっています。そんな桑野選手には、現在二つの目標があります。

「一つは、パラリンピックの舞台で個人戦に出場すること。もう一つは、ボッチャのプレーだけではなく、ファッションなどのライフスタイルの面でも『桑野選手みたいになりたい』と思われ、応援してもらえる選手になることです」

日頃から好きなブランドのスポーツウェアを来て練習に励み、メイクやヘアにもこだわっている桑野選手。モットーとしている「一度決めたことを最後までやり遂げる」を胸に、多くの人の心を動かせられるよう、日々努力を重ねています。

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