パラスポーツ支援者からパラテコンドー選手に

不断の努力を人一倍続けてきた田中光哉の“自信の源”

パラテコンドーを始めたのは24歳のとき。翌年には国際大会で優勝し、東京2020パラリンピック大会にも出場した田中光哉選手は、パラスポーツを普及・支援する側から選手へと転身した異色のキャリアの持ち主です。「自信はあり過ぎるほどある」と話す田中選手の成長の背景には、不断の努力がありました。 

パラテコンドー

2006年に、上肢障がい者を対象としたパラテコンドーが誕生。ルールは健常者テコンドーと基本的に同じだが、頭部への攻撃は禁止されている。現在は、身体障がいのある選手が出場するキョルギ(組手)と、知的障害のある選手が出場するプムセ (型) の2種目が存在。2021年東京パラリンピックからパラリンピックの正式種目となった。 


対戦相手に「ごめんね」と思うようになった 

男3人兄弟の末っ子。先天性の両上肢尺側欠損障害を持つ田中光哉選手は、父と兄たちが剣道をしていたこともあり、幼稚園生の頃から剣道を始めました。

右手の指1本、左手の指3本、そして時には肘でも支えながら竹刀を巧みに操っていました。ただ、健常者と全く同じ条件で戦うのは難しいのが現状だったため、軽めの竹刀や手に合う形のグローブを使うなどの工夫を施していました。そうして剣道に打ち込んでいく中で、徐々にある感情が芽生えていきました。

「対戦相手に対して、健常者とは異なる相手だとやりづらいだろうと気を遣いはじめ、『ごめんね』と思うようになっていきました。結果的に剣道は小学校5年生でやめました。振り返ってみて、剣道というスポーツを通して、他の人と自分は違うことを自覚するようになったと同時に、『それでも自分はできる』という自信を持ちました」


オーストラリア留学で受けた衝撃 

田中選手の人生の中で、転機となったのは大学時代にオーストラリアのシドニーに留学をしたことでした。その1年間で、日本とオーストラリアとでは、障がいの捉え方が違うことに驚いたといいます。

「自分の手を見ると、目を逸らすのではなく笑顔で返してくれたり、何のためらいもなく質問してくれたりする人ばかりでした。日本では経験したことがなかったため衝撃的でした。周りと違っていることに違和感を覚えない人たちと触れ合う中で、社会における障がいのあり方に興味を持ちました」

そして大学卒業後、パラスポーツを広める公的な団体に就職。パラスポーツの指導員をしたり、パラスポーツを楽しむイベントの企画運営をしたりする中で、パラリンピアンと出会いました。彼ら彼女らの体の動きを見ているうちに「自分にもパラスポーツができるかもしれない」と思うようになっていきました。

周りからパラアスリートになることも勧められていた中で、ある日、直感的に「パラテコンドーをしてみよう」と思い立った田中選手は、全日本テコンドー協会のHPに連絡をし、体験会へ。その時のことをこう振り返ります。

「血走った目で、こちらに向かってくる相手と向き合うスリルを感じました。剣道の時もそうでしたが、『やるかやられるか』の勝負の中で、相手をどう攻略するかに集中すると、痛みすら凌駕してしまう。それが格闘技の面白さだと改めて感じ、パラテコンドーに挑戦してみようと思いました」

25歳でパラアスリートとなった田中選手は、競技を始める際、自ずとパラリンピック出場も意識していました。テコンドーは東京パラリンピックで新競技に入ることも知り、パラリンピックを目指す自分を想像した際に「ワクワクした」と言います。


自分の課題を整理し、一つずつ克服 

競技を始めた翌年に国際大会で優勝したことを皮切りに、数々の国内外の大会で好成績を残していきました。わずか4年ほどで東京パラリンピックへの切符を手にし、その時思ったのは、これは通過点だということでした。

「その後も自分自身の成長を感じていますし、誰よりも上手くなれると信じることができています。何よりテコンドー自体が楽しい。それらが、競技を続ける原動力になっています。失敗と思ったり、落ち込んだりすることは少なく、自信はありすぎるぐらいあります」

その自信とはどこから来るのか。それは「練習」と田中選手は言います。

「練習方法一つとっても、例えば、どうしたら理想とする動きを身につけることができるかをものすごく考えています。そして反復して練習する中で、『やればできる』という感覚を得ています。常に考えながらトレーニングもしているので、強い相手と戦って負けた時も、その理由を説明できます。自分が足りない所や課題を整理して、一つひとつ潰していくことが競技力の向上につながり、結果的に自信へとつながっているのだと思います」

日常生活においては、困ることはほとんどないとのこと。例えば、爪切りを使って爪を切る際は顎を使ったり、パソコンのタイピングは一般の人よりも早く打ったりすることができます。それは、元々できた訳ではなく、田中選手の努力の賜物です。

「周りの人が普通にしていることができない中、昔からその裏で試行錯誤しながら習得してきたことが多々あります。それらの成功体験が、公私両方の面での自信につながっていると思います」


パラスポーツは、自分に自信を与えてくれた 

田中選手は、パラアスリート当事者であり、また、パラスポーツにおける課題も認識している稀有な存在です。

パラスポーツを支援する職員だった時代、障がいの種類によってはスポーツができなかったり、スポーツをしたくてもスポーツをする環境がなかったり、また、スポーツできる環境が近くにあっても物理的にその場所まで辿り着けない人がいたりと、「現実」を見てきました。

「自分はその現実を知っているアスリートです。それには大きな意味があると思っています。パラスポーツは、自分に自信を与えてくれました。その一方で、全ての障がい者にとって、パラスポーツは開かれた存在ではありません。その点を理解しながら、将来は競技をする/しないに関わらず、リハビリ的な要素であったり、他にもスポーツを通じた社会参加や多様性が受け入れられるためのツールとしてなど、パラスポーツの持つさまざまな魅力を伝えていきたいと考えています」

まずは、自分が成長できる限り、テコンドーを極めていきたいと話す田中選手。パラスポーツを多角的な角度から捉えている存在として、田中選手の可能性は無限大に広がっています。

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